■大正池と明神岳

大正1510+

正月元旦の大正池。
焼岳の噴火によってせき止められた梓川は、いつしか観光の名所となり、上高地を代表する風景になった。

古くは神が降りる地という意味で神降地とも神河内ともいわれた上高地。多くの観光客が押し寄せるシーズンを終え、冬は静粛な気を湛えている。

だが、近年は厳冬期さえも騒がしくなった。山岳ガイドに引率された○○旅行のツアーはさながらジジババの団体観光。
積雪量の多い冬はトレースが細く、すれ違うのもたいへんなのに、それが何十人と行列を作る。

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創刊間もない日本山岳会機関誌『山岳』(7年3号、1912年)に辻村伊助が「神河内と常念山脈」という一文を寄せている。

上高地はすでに神河内ではなかった。桂、栂、落葉松、ことに思ひ出多い白樺はいつの間にか伐り盡されて、白く冷たい切り株が、僅かに昔を語って居る丈であつた。伐り残された小梨の幹に倚りかかって、しんとした山の空気を振るわせて、地響をさせながら倒されていく森の立木を見つめたとき、かうしなくては生きてゆかれないものかと、腹が立つよりも、なさけない心持になつてしまつた。……かくて神河内は林道が直線に貫かれてから、河童橋が田舎臭い吊橋に変わってから、渡りものの人足が浴場で俗謡をうなるやうになってから、交通が便利になったと云ふ名のもとに、茶代の受取が活字で組まれ、茶碗に温泉の名が焼きつけられ、手拭が間違ひだらけの横文字で染められて、温泉は「上高地」と云ふ名と共にしかく俗了してしまったのである。
……くれぐれも云ふ、神河内ならぬ「上高地」は不快なところである。

槍ヶ岳に登り、日本に近代登山をもたらしたイギリス人ウォルター・ウェストンが帰国後、当時の日本山岳会長・松方三郎がイギリスにウェストンを訪ねた。
ウェストンは松方に「上高地にホテルができたと聞いたが、本当か」と聞いた。
松方が建築の由来などを説明しようとしたとき、ウェストンは窓際に立った。松方が見ると、ウェストンは目にいっぱい涙を浮かべていたという。



2009年1月1日。
雲に隠れて穂高が見えなかった。





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